人と関わりたくない自分がそれでも人と関わって良かったこと
なるべく人とかかわらないで生きていられたらいいのに、と常々思っている。
そう思っていた結果友達いないし、恋人もできたことないし、家族とも疎遠だ。
この状態に孤独を感じていない。奥底にはあるのかもしれないけどあまり浮上してくることはない。
しかし「人は一人では生きられないんだよ」なんて綺麗ごとかと思えば事実で、まったく誰ともかかわらないで生きていくのは無理に等しい。
だったら適度に距離を置いていたい。
人々の営みを離れたところから見ていたい。
大きな河の向こう岸で、みんながバーベキューしたりスポーツしたり散歩したりわちゃわちゃやっているのを、反対側の岸からひとりでぼんやり眺めている、そんなイメージ。
自分にも、誰かに必要とされたいとか愛されたいとかいう欲求があるのかもしれないけど、
それよりも人とかかわることによって自分の心の中がかき乱されるのがめんどくさい。他人に侵略されたくない。
でも今まで、避けられず人とそれなりにかかわりながら生きてきて、
人とかかわることのメリットを感じたこともある。
まず、「けっこうみんなテキトーなんだな。」と気が楽になった。
小学生のころ母親に「なんでみんな出来てるのにお前は出来んのよ!」「お前は本当にダメやな!」とよく罵倒されていたせいか、
「自分はほかの誰より劣っている=例外なくみんな自分よりすごい」
という考えが染みついている。
しかし今まで働いてきたり客としてどこかのお店に行ったり、何かしらのかかわり合いの中で、
「えっ、そんなんでいいん?」と他人に対して思うことがけっこうあった。
みんなけっこうミスするし、同じミスを繰り返しても悪びれない人もいるし、接客業でもみんながみんな完璧に愛想いいわけでもないし、全然やる気のない人もいる。
だけどそれですぐに大変なことになったりもしない。完璧でなくても、案外問題なく物事は進んでいく。
完璧な人間なんていないんだなと知る。もしかして案外みんな同じように大したことない、のかもしれない。
それに世の中見てみると、おかしな事件起こして人を傷つけたり命を奪ったり迷惑をかけて平然としていたり、そんな人間もいるわけで。
少なくともそういう人たちよりはマシなはず。
言い方悪いけど、自分より下の人間ってけっこうたくさんいるな…と思うと、自分がそこまでダメ人間ってわけじゃない気がして救われたりする。
それから、「他人から見た自分像って自分の思うそれと違うのかも?」と気づいた。
今までに「仕事ができる」と言われたことが度々あった。
セルフイメージが「なんにもできないダメ人間」のままなので、褒められたとしても
「嘘つけ!お前はどこ見てんだ!そんなわけないだろ!間違いだ!」
と思ってその言葉をにわかには信じられなかったんだけど。
でもお世辞言われるような間柄でもないし、その人の目には本当にそう見えているのかもしれない。
まあ仮にお世辞だとして、100パーセントの嘘を言うだろうか?
もしかしたらその人は本当にそう思っているのかもしれない。
私はそう思えないからって、他の人が思ったことまで否定するのも違う気がする。
もしかして、褒めてくれるその言葉を、他人から見た自分ってそんなに悪くないんだってことを、信じてみてもいいのかもしれない。
自分で思ってるより悪くないかもしれない自分、というのを受け入れてもいいのかもしれない。
あと実際かかわってみると、思ってたより他人って優しかったりする。
ダメ人間の自分なんて非難されるに違いない、いわば他人とは敵なのだ、とずっとどっかで思ってるのに、
別に仲良くもないのに前述のように褒めてくれたり、何かしてくれたり心配してくれたり優しい言葉をかけてくれたりする人もいる。
たぶん私はひねくれているのでその言葉を斜めに見てしまいがちだけど、その人の本心かもしれないと信じてみても、素直に受け取っても、いいのかもしれない。
人とかかわると自分の視点だけでなく、客観的に見た自分像を知ることができる気がする。
自分自身がかき乱されてめちゃくちゃになって傷つくだけの嫌なことしかないと思ってたけど、悪いことばかりでもなかった。
新たな視点で自分という人間を知ることができるのはおもしろい。
だからといってこれから積極的に人とかかわっていこう、というふうになれるわけじゃないけど。
快適な距離は保ちつつ、人や世界とのつながりは切っちゃだめだな、と思う。